きくらげパフェ

いつものすざと違う部分

自己開示/すざく下ネタダメ説への反論

まずはなぜこのブログを開設することになったか、というものについてから入りたいと思う。

 

 

・なんで?


前提としてわたしはわたしの内面を決めつけられることが嫌いだ。
「すざは下ネタ嫌いなんだよ」と決めつける人が居た。これについてあまりにも腹に据えかねて、である。

あなたにわたしの何が分かるのか?
確かに意図的に自我の見せる面について大きく制限しているから、こういった勘違いが生じるものであるのは理解できる。
この人が見てきた部分は前に立つもの、パフォーマーとしてのわたしであって、等身大のわたし全体ではない。
あくまでわたしの一部でしかなく、わたしを理解しきることはできない。と考えている。
ということで、これについて誤解を解きつつ、できるだけわたし個人に興味がある人に対しては理解への一助となるものを残したいわけだ。(わたしの思想にも関わる部分なので、それについてはまた別で書く、おそらく。実は別所でこの思想について毒まみれで書いているので、見つけられる人はそこで読んで欲しい。

もしステージに立ったり、同じく立つ仲間たちと人前で存在していたりする時のわたしだけでこいつは過去こういうことがあって、今こういう環境で生きていて、こういう思考をする人間なんだなあとすべてわかる人が居るなら申し訳ないが(そんなことができる者はいわゆる神であるはずだ)

 

・この記事のメインの目的


人間の理解ということに対してのスタンスの明示
そしてそこから「すざは下ネタが嫌い」という部分について正確な自己開示を行いたい。

 

 


・人間一人理解するとは?


過去の経験、現在置かれている境遇、思考回路、感情の機微、それらすべてを知らなければ人間の内面総てを理解することなどできない。
そして人間というものは居る場所に応じて大きく立ち振る舞いを変えるものだと思う。
つまり、その場での思考回路しか見ることができないということ。

故に、振る舞いを場所に沿わせているわたしを見て、すざくがこういうものであると、こう考えていると、明言していない部分について勝手に決められるわけがない。(逆に「ルーシュカちゃんが好き」ということは明言しているので常にそうだ)

この前提で果たして伴侶以外の人間についてすべての考えを理解できると思えるだろうか?
わたしは伴侶ですらすべてを解ることはできないとすら考えているが。

でも決して理解を諦めるわけではない。同じ時間を共有するもののその場での考えは理解していきたい。友達でも、フレンドにとりあえずなっている相手でも、はたまたビジネスの相手でも。
同じようなシチュエーションであれば似通った思考で行動するはず。少なくともわたしはそうだ。
要するに、その場での、あくまでもその人の一部であると認識した上で捉えていきたい。その捉えたものから先の部分を理解した気にならないよう努める。
こういった思想だ。


・「下ネタが嫌い」は本当なのか?

 

では本題に入っていこう。
結論から言うとこれは違う。

 

よく考えてみてほしいが、淫夢ネタをある程度把握している時点で下ネタに耐性がないわけがない。(好きな淫夢の登場人物が「顔が変な人」であったり、るりまでオナろうを正規購入していたりする時点で明白ではないだろうか?

 

わたしが嫌いなものは
1.人間への性欲を丸出しにしている人間
2."生身の"わたしに性欲を向けてくる人間(特定の条件下にある者を除く)
3.自分にその欲が存在すること
4.特定の条件下にある者以外との身体接触
であって、下ネタそのものではない

 

ここからはなぜこう思っているのかの解説(自分語り)となるので、下ネタが嫌いについての真実を知りたかっただけの方はブラウザバックをお勧めする。
わたしを知りたい人だけ見てもらえたらいい。

 

 

 

 

 

・なぜ嫌いなのか?


基本的に嫌いな上記のものの大きな理由は共通している。

過去に接点の薄い複数の人間に性的な対象として使われた/見られた時大変嫌な思いをしたからだ。
※非処女であるということではないのでそこは勘違いしないように。

いわゆる興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?
である

わたしが嫌う好意とは理性的でない好意と判断せざるを得ないものだ。
普通に友達になって、距離が近づいて行って最終的に理性的でないものも向ける。これは全く構わない。
単に友達になりたいとか、話したいといった好意については喜ばしく思う。ありがたきハピネス。
ステップを踏んでもらえれば問題ないが、すっ飛ばされると嫌な気持ちになるのだ。

なおフィクションや、わたしのアバターに向けることについては全く問題ない。
すざシコ同好会の皆については安心してほしい。ただしjustは期待しないように。

 

 

 

ここから先はもっと自分語り濃度が濃くなるので興味がここで尽きた方はブラウザバックをお願いする。
え、すざを理解したい?じゃあどうぞどうぞ(嬉

 

 

 

 

 

 


・身体接触はなんで嫌いなの?

 


すごーく簡単。人の熱が嫌いだから。
友達から先だったらまあまあ大丈夫なので、ここまで読んだ人ならきっと大丈夫。

あと、手が汚れる/何かが付着するのが嫌いだから。
大好きなカニを食べる時ですら嫌なので、要するにそういうこと。
これを許せるのはとーーーっても仲がいい人だけ。

電子の海だとこれを全部無視できるので良い感じ。

 

 

 

 


・理性的でない好意が嫌いである理由

 

ここまでくると哲学なのでまじめに見なくていい。いや見てくれるとわたしのことをもっと理解できるが、別にここまで知らなくても支障はないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


覚悟はいいな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


理性的でない好意、要するに性欲。
単にこれによって加害されたから嫌いだ、というわけではない。

大前提の思想を述べておく。

人間とはなんなのか?
これは明白なはずだ。知的生命体である。

知的生命体において重きを置かれる部分とはどこか?
知的であることであろう。
生命体であることは前提としてあるが、基本的に意思のあるものは生命体の形を取りがちだ。
よって知的であることが人間を知的生命体として成り立たせているのだ、と考える。(こう考えられることも知的生命体の特権。たぶん)

では性欲とは
性欲とは動物に備わった本能の一つ
生命体部分の特徴である

知的であるからには、こういった本能そのままに動いてはならない。知的でないものにあるものだから。
そういった思想を持っている。

 

自分がこういったものに振り回されたくない。
少し前まではこれは一切存在してはならないとまで思っていたほどだ。
生命体である以上、これを抱えることは構造上仕方のないことであるという認識になっている。
しかし、これを発露していいのは知的な行動の後だ。

そこから、知的なそれをすっとばしてこれを振り回す者は嫌い、ということだ。

押し付けるつもりはない、自分から離れたところでこういったものにブンブンされる人間のことを嫌うということもない。
だが人間のわたしに押し付けることだけはやめていただきたい。

 

 

 

 

以上、長々と自分語り失礼した。
これをもってわたしの一部を理解してくれる人が増えると嬉しい。