きくらげパフェ

いつものすざと違う部分

自己紹介

 

 

こんばんは、すざくです。Suz4Xと書いてすざくと読みます。

お気軽にすざ、ざくち、すーちゃんとお呼びくださいましな。すざくさんはちょっぴりくすぐったいですからね。

"朱雀"は他のものと混ざっちゃうので推奨していません。いっぱいいらっしゃいますし、いろんなものに使われているネーミングですものね。

 

普段はVRChatにてDJをやっていたり、Barでメイドになっていたりします。

たまにリアルでもDJやりますし、どっちでもクラブ遊びもします。

イベントじゃないVRCも楽しんでみたいな、などと最近は時間を作っていたりする次第です。

 

さてこのブログ、イベント中以外、DJじゃないすざも知っていただけると多少嬉しいかもな〜という感じの内容を狙っています。

たぶんそういう方向性の長文はnote開設して投下するんじゃないかしら?

滅多に語りたいことなどないのでそちらの内容は厚くならない気がしますね、たぶんね。諸先輩方が真面目でタメになるものを書いていらっしゃるのでなおのことです。

何も考えずに動いていると思われるように活動しているつもりですので、本来のすざくに興味のある方、仲良くなりたい方、すでに仲の良い方が見てくれたらいっかな、という。

散文かつ薬を通り越して毒、な内容になったらごめんなさい。

とりあえずいつもの主催とかスタッフとかメイドとかやっているイメージを一切取り除いて、あくまで1人の人間として見てもらえるといい感じです。

 

以上

 

2024/4/11

 

対人関係で考えること

対人関係について、わたしも昔はよくしんどくなったりトラブルを起こしたりしていた。
TLの流れや身の回りで起きていることを見て、春先だしこれを語るのには良いタイミングだと思ったので思考整理も兼ねて記しておく。あとTLにまじめな自我をあんまり流したくない。

 

個人的にはこれだけは守るというポイントがあって、これを意識している間はそう面倒ごとにならなくなった(とはいえ時々気がふれて自分から破って多少面倒を抱えることもいまだあるのだが…

 

・わたしの対人関係の三原則
やはり結論から行くと気持ちがいい
ので先に三原則を述べておく

 

1.「need to know」を破らない
2.「give and take」を意識する
3.「他人は誰も私に興味がない」を忘れない

 

上記の通りだ。これを守ればそう厄介なことにはならない、と感じている。
その他サブ的に守っていることもあるが、それは気が向いた時に別で補足することとする。

 

・1.「need to know」を破らない について

まずneed to knowとは、というところだがこの概念を知ったのがMETALGEAR SOLIDのセリフからなのでそのまま引用する

 

ソリッド・スネーク:「必要な者だけに知らせる、ニーズ・トゥ・ノウ」の原則か。

 

知る必要がある情報を知らせる。ここ最近の現実においてはセキュリティなどで使われる概念でもある。
ここにおける情報とは、個人のぱっと見の見た目だけで得られない要素を指す。

 

これの実践でわかりやすいところでいうと、「基本的に我々はお互いの住所を把握する必要はない。なので教えないし聴かない。」といったものだ
個人情報とまでいくとそりゃそうだろとなるだろうが、わたしは関わり方次第では相手の内面すらごく一部しか知らなくてよいとしている。

 

友達とどう遊んでいると楽しいのか?どういったジョークを言われると嫌なのか?
これは友達として関わる以上知る必要のある情報だろう
しかし、ビジネスで関わっている相手に対してこの情報は必要だろうか?
といった感じだ
友達と一言に言っても、現代の友達の形態はさまざまだろう。
たとえば、小学校時代からの付き合いの人だとか、SNSで知り合った顔は知らないけどゲームでよく遊ぶ人だとか…
この形態に合わせて実際知るべき情報の範囲は様変わりするものだと考えている。

 

そして、これは相手を知るときだけでなく自分の情報を開示するときにも適応される。

内面というのはそれぞれ持ち合わせているもので、いわゆる地雷だとか、出した場合に相反し諍いになるものが多々ある。

極端なところだが、果たして周りの人間は私の政治信条や宗教観について知る必要があるだろうか?地球上のほぼ100%の人間がそれを知る必要はないだろう。そして概ねこういうものに関してはそれぞれの信じるものが相反し、まま対立する結果になる場合が多い。

例はあまりにも極端なものだが、好きなもの、嫌いなものといった些細なことでもトラブルになることもある。

したがって、それを開示してもよい関係性になった上で開示する必要性が発生した場合以外には話さない。

だいたい戯言でお茶を濁し続けているのはこれのためだ。わかっていただけると幸いだ。

 

 

・2.「give and take」を意識する について

give and take、という言葉はおそらく皆聞いたことがあるのではないだろうか。

何かを提供する代わりに何かを受け取る というのが直訳的だが一般的だろうか?

思想的には相互に利益を提供する、と言ったニュアンスが近い。

※念のために言っておくが私は見返りを求めて他者と接しているわけではない。

 

こと人間関係においては「楽しさ」が提供しあうべき利益となるだろう。

私としては、私と話していて楽しそうにしてくれるならそれだけで十分な利益だ。すざくは大阪人だからおもろいことを言わないといけない…などと身構える必要はないので安心して欲しい。

ただし、「不快」だけをぶん投げてくる人間(その場の楽しさを「take」だけしていく人間)とは距離を取るし、自分が人に楽しさを「give」できる自信がない時(元気がない時や機嫌が悪い時)はある程度周りから距離を取る。

 

そして、単に楽しさを提供し合うと言ったざっくりしたそれだけではない。

自分が喋って時間を「take」した分、相手の話を聞くだけに回り時間を「give」することも必要だろう。

 

と言った感じで、バランスを取れるようにも気をつけている。

 

・3.「他人は誰も私に興味がない」を忘れない について

何気にこれが一番大事かもしれない。

特に自分の言葉なのでお気に入りだ。

 

先に断っておくが、私は誰にも構ってもらえない子なんです〜〜!!!!などと言いたいわけでないのは留意していただきたい。

むしろ私にある程度興味を持ってくれている方がそれなりにいることは承知しているし、ありがたいと思っている。皆を無視するようなつもりは一切ない、関わってくれる方は全員できる限り楽しませられるよう努める。

 

じゃあ「この俺はすざくなどというアホに興味を持ってやっているというのにこの言い草はなんだよ」という話だ。

これは、自意識を過剰にしないための言葉である。

 

大前提として、読者のあなたは恋人や家族以外の人間に対してメンタルケアや介護、借金の肩代わりをする気になるだろうか?

おそらくならない方が大半だろう。

なる方は素晴らしい精神の持ち主なので、今後ともその心を忘れないでほしいし実際誰にするかはよく考えてほしい。

 

これを拡大して前述二つの原則と被らせて考えると、わざわざ表でマイナスのものをばら撒いているすざがいたとしたら、誰が話しかけたいと思うだろうか…となるのである。

それをなんとかしようとしてくれるのは家族、パートナー、マジでガチの親友などであって、その他の人間にとっては興味のないことで、しかも触れても利の無いことだろう。

 

実際問題あなたはタヒにたいとか、何者かをこの世から消したいなどと言っているさほど仲良くない、よく知らない人間がいた時、どう思うだろうか?

 

ということで、傲慢にも他人に構ってもらおうなどと変なことを言わないためにも「他人は誰もわたしに興味がない」をモットーとしている。

 

・まとめ

ということで、それぞれの原則をまとめるとどういった行動を意識することになるのかをすげえ雑に

 

できるだけ余計なことを言わない、できるだけ楽しい話をする、話を聞く、他人に自分の機嫌を取らせない

 

ンな感じ!

以上、中学から大学までトラブルまみれで過ごした人間の戯言でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・三原則には書いてないもの

本気でヤバい人間とは距離を取る

他人を変えられるなどと思わない

自分に救える人間の数は持って生まれた2本の腕に収まる分だけ

自己開示/すざく下ネタダメ説への反論

まずはなぜこのブログを開設することになったか、というものについてから入りたいと思う。

 

 

・なんで?


前提としてわたしはわたしの内面を決めつけられることが嫌いだ。
「すざは下ネタ嫌いなんだよ」と決めつける人が居た。これについてあまりにも腹に据えかねて、である。

あなたにわたしの何が分かるのか?
確かに意図的に自我の見せる面について大きく制限しているから、こういった勘違いが生じるものであるのは理解できる。
この人が見てきた部分は前に立つもの、パフォーマーとしてのわたしであって、等身大のわたし全体ではない。
あくまでわたしの一部でしかなく、わたしを理解しきることはできない。と考えている。
ということで、これについて誤解を解きつつ、できるだけわたし個人に興味がある人に対しては理解への一助となるものを残したいわけだ。(わたしの思想にも関わる部分なので、それについてはまた別で書く、おそらく。実は別所でこの思想について毒まみれで書いているので、見つけられる人はそこで読んで欲しい。

もしステージに立ったり、同じく立つ仲間たちと人前で存在していたりする時のわたしだけでこいつは過去こういうことがあって、今こういう環境で生きていて、こういう思考をする人間なんだなあとすべてわかる人が居るなら申し訳ないが(そんなことができる者はいわゆる神であるはずだ)

 

・この記事のメインの目的


人間の理解ということに対してのスタンスの明示
そしてそこから「すざは下ネタが嫌い」という部分について正確な自己開示を行いたい。

 

 


・人間一人理解するとは?


過去の経験、現在置かれている境遇、思考回路、感情の機微、それらすべてを知らなければ人間の内面総てを理解することなどできない。
そして人間というものは居る場所に応じて大きく立ち振る舞いを変えるものだと思う。
つまり、その場での思考回路しか見ることができないということ。

故に、振る舞いを場所に沿わせているわたしを見て、すざくがこういうものであると、こう考えていると、明言していない部分について勝手に決められるわけがない。(逆に「ルーシュカちゃんが好き」ということは明言しているので常にそうだ)

この前提で果たして伴侶以外の人間についてすべての考えを理解できると思えるだろうか?
わたしは伴侶ですらすべてを解ることはできないとすら考えているが。

でも決して理解を諦めるわけではない。同じ時間を共有するもののその場での考えは理解していきたい。友達でも、フレンドにとりあえずなっている相手でも、はたまたビジネスの相手でも。
同じようなシチュエーションであれば似通った思考で行動するはず。少なくともわたしはそうだ。
要するに、その場での、あくまでもその人の一部であると認識した上で捉えていきたい。その捉えたものから先の部分を理解した気にならないよう努める。
こういった思想だ。


・「下ネタが嫌い」は本当なのか?

 

では本題に入っていこう。
結論から言うとこれは違う。

 

よく考えてみてほしいが、淫夢ネタをある程度把握している時点で下ネタに耐性がないわけがない。(好きな淫夢の登場人物が「顔が変な人」であったり、るりまでオナろうを正規購入していたりする時点で明白ではないだろうか?

 

わたしが嫌いなものは
1.人間への性欲を丸出しにしている人間
2."生身の"わたしに性欲を向けてくる人間(特定の条件下にある者を除く)
3.自分にその欲が存在すること
4.特定の条件下にある者以外との身体接触
であって、下ネタそのものではない

 

ここからはなぜこう思っているのかの解説(自分語り)となるので、下ネタが嫌いについての真実を知りたかっただけの方はブラウザバックをお勧めする。
わたしを知りたい人だけ見てもらえたらいい。

 

 

 

 

 

・なぜ嫌いなのか?


基本的に嫌いな上記のものの大きな理由は共通している。

過去に接点の薄い複数の人間に性的な対象として使われた/見られた時大変嫌な思いをしたからだ。
※非処女であるということではないのでそこは勘違いしないように。

いわゆる興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?
である

わたしが嫌う好意とは理性的でない好意と判断せざるを得ないものだ。
普通に友達になって、距離が近づいて行って最終的に理性的でないものも向ける。これは全く構わない。
単に友達になりたいとか、話したいといった好意については喜ばしく思う。ありがたきハピネス。
ステップを踏んでもらえれば問題ないが、すっ飛ばされると嫌な気持ちになるのだ。

なおフィクションや、わたしのアバターに向けることについては全く問題ない。
すざシコ同好会の皆については安心してほしい。ただしjustは期待しないように。

 

 

 

ここから先はもっと自分語り濃度が濃くなるので興味がここで尽きた方はブラウザバックをお願いする。
え、すざを理解したい?じゃあどうぞどうぞ(嬉

 

 

 

 

 

 


・身体接触はなんで嫌いなの?

 


すごーく簡単。人の熱が嫌いだから。
友達から先だったらまあまあ大丈夫なので、ここまで読んだ人ならきっと大丈夫。

あと、手が汚れる/何かが付着するのが嫌いだから。
大好きなカニを食べる時ですら嫌なので、要するにそういうこと。
これを許せるのはとーーーっても仲がいい人だけ。

電子の海だとこれを全部無視できるので良い感じ。

 

 

 

 


・理性的でない好意が嫌いである理由

 

ここまでくると哲学なのでまじめに見なくていい。いや見てくれるとわたしのことをもっと理解できるが、別にここまで知らなくても支障はないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


覚悟はいいな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


理性的でない好意、要するに性欲。
単にこれによって加害されたから嫌いだ、というわけではない。

大前提の思想を述べておく。

人間とはなんなのか?
これは明白なはずだ。知的生命体である。

知的生命体において重きを置かれる部分とはどこか?
知的であることであろう。
生命体であることは前提としてあるが、基本的に意思のあるものは生命体の形を取りがちだ。
よって知的であることが人間を知的生命体として成り立たせているのだ、と考える。(こう考えられることも知的生命体の特権。たぶん)

では性欲とは
性欲とは動物に備わった本能の一つ
生命体部分の特徴である

知的であるからには、こういった本能そのままに動いてはならない。知的でないものにあるものだから。
そういった思想を持っている。

 

自分がこういったものに振り回されたくない。
少し前まではこれは一切存在してはならないとまで思っていたほどだ。
生命体である以上、これを抱えることは構造上仕方のないことであるという認識になっている。
しかし、これを発露していいのは知的な行動の後だ。

そこから、知的なそれをすっとばしてこれを振り回す者は嫌い、ということだ。

押し付けるつもりはない、自分から離れたところでこういったものにブンブンされる人間のことを嫌うということもない。
だが人間のわたしに押し付けることだけはやめていただきたい。

 

 

 

 

以上、長々と自分語り失礼した。
これをもってわたしの一部を理解してくれる人が増えると嬉しい。