対人関係について、わたしも昔はよくしんどくなったりトラブルを起こしたりしていた。
TLの流れや身の回りで起きていることを見て、春先だしこれを語るのには良いタイミングだと思ったので思考整理も兼ねて記しておく。あとTLにまじめな自我をあんまり流したくない。
個人的にはこれだけは守るというポイントがあって、これを意識している間はそう面倒ごとにならなくなった(とはいえ時々気がふれて自分から破って多少面倒を抱えることもいまだあるのだが…
・わたしの対人関係の三原則
やはり結論から行くと気持ちがいい
ので先に三原則を述べておく
1.「need to know」を破らない
2.「give and take」を意識する
3.「他人は誰も私に興味がない」を忘れない
上記の通りだ。これを守ればそう厄介なことにはならない、と感じている。
その他サブ的に守っていることもあるが、それは気が向いた時に別で補足することとする。
・1.「need to know」を破らない について
まずneed to knowとは、というところだがこの概念を知ったのがMETALGEAR SOLIDのセリフからなのでそのまま引用する
ソリッド・スネーク:「必要な者だけに知らせる、ニーズ・トゥ・ノウ」の原則か。
知る必要がある情報を知らせる。ここ最近の現実においてはセキュリティなどで使われる概念でもある。
ここにおける情報とは、個人のぱっと見の見た目だけで得られない要素を指す。
これの実践でわかりやすいところでいうと、「基本的に我々はお互いの住所を把握する必要はない。なので教えないし聴かない。」といったものだ
個人情報とまでいくとそりゃそうだろとなるだろうが、わたしは関わり方次第では相手の内面すらごく一部しか知らなくてよいとしている。
友達とどう遊んでいると楽しいのか?どういったジョークを言われると嫌なのか?
これは友達として関わる以上知る必要のある情報だろう
しかし、ビジネスで関わっている相手に対してこの情報は必要だろうか?
といった感じだ
友達と一言に言っても、現代の友達の形態はさまざまだろう。
たとえば、小学校時代からの付き合いの人だとか、SNSで知り合った顔は知らないけどゲームでよく遊ぶ人だとか…
この形態に合わせて実際知るべき情報の範囲は様変わりするものだと考えている。
そして、これは相手を知るときだけでなく自分の情報を開示するときにも適応される。
内面というのはそれぞれ持ち合わせているもので、いわゆる地雷だとか、出した場合に相反し諍いになるものが多々ある。
極端なところだが、果たして周りの人間は私の政治信条や宗教観について知る必要があるだろうか?地球上のほぼ100%の人間がそれを知る必要はないだろう。そして概ねこういうものに関してはそれぞれの信じるものが相反し、まま対立する結果になる場合が多い。
例はあまりにも極端なものだが、好きなもの、嫌いなものといった些細なことでもトラブルになることもある。
したがって、それを開示してもよい関係性になった上で開示する必要性が発生した場合以外には話さない。
だいたい戯言でお茶を濁し続けているのはこれのためだ。わかっていただけると幸いだ。
・2.「give and take」を意識する について
give and take、という言葉はおそらく皆聞いたことがあるのではないだろうか。
何かを提供する代わりに何かを受け取る というのが直訳的だが一般的だろうか?
思想的には相互に利益を提供する、と言ったニュアンスが近い。
※念のために言っておくが私は見返りを求めて他者と接しているわけではない。
こと人間関係においては「楽しさ」が提供しあうべき利益となるだろう。
私としては、私と話していて楽しそうにしてくれるならそれだけで十分な利益だ。すざくは大阪人だからおもろいことを言わないといけない…などと身構える必要はないので安心して欲しい。
ただし、「不快」だけをぶん投げてくる人間(その場の楽しさを「take」だけしていく人間)とは距離を取るし、自分が人に楽しさを「give」できる自信がない時(元気がない時や機嫌が悪い時)はある程度周りから距離を取る。
そして、単に楽しさを提供し合うと言ったざっくりしたそれだけではない。
自分が喋って時間を「take」した分、相手の話を聞くだけに回り時間を「give」することも必要だろう。
と言った感じで、バランスを取れるようにも気をつけている。
・3.「他人は誰も私に興味がない」を忘れない について
何気にこれが一番大事かもしれない。
特に自分の言葉なのでお気に入りだ。
先に断っておくが、私は誰にも構ってもらえない子なんです〜〜!!!!などと言いたいわけでないのは留意していただきたい。
むしろ私にある程度興味を持ってくれている方がそれなりにいることは承知しているし、ありがたいと思っている。皆を無視するようなつもりは一切ない、関わってくれる方は全員できる限り楽しませられるよう努める。
じゃあ「この俺はすざくなどというアホに興味を持ってやっているというのにこの言い草はなんだよ」という話だ。
これは、自意識を過剰にしないための言葉である。
大前提として、読者のあなたは恋人や家族以外の人間に対してメンタルケアや介護、借金の肩代わりをする気になるだろうか?
おそらくならない方が大半だろう。
なる方は素晴らしい精神の持ち主なので、今後ともその心を忘れないでほしいし実際誰にするかはよく考えてほしい。
これを拡大して前述二つの原則と被らせて考えると、わざわざ表でマイナスのものをばら撒いているすざがいたとしたら、誰が話しかけたいと思うだろうか…となるのである。
それをなんとかしようとしてくれるのは家族、パートナー、マジでガチの親友などであって、その他の人間にとっては興味のないことで、しかも触れても利の無いことだろう。
実際問題あなたはタヒにたいとか、何者かをこの世から消したいなどと言っているさほど仲良くない、よく知らない人間がいた時、どう思うだろうか?
ということで、傲慢にも他人に構ってもらおうなどと変なことを言わないためにも「他人は誰もわたしに興味がない」をモットーとしている。
・まとめ
ということで、それぞれの原則をまとめるとどういった行動を意識することになるのかをすげえ雑に
できるだけ余計なことを言わない、できるだけ楽しい話をする、話を聞く、他人に自分の機嫌を取らせない
ンな感じ!
以上、中学から大学までトラブルまみれで過ごした人間の戯言でした。
・三原則には書いてないもの
本気でヤバい人間とは距離を取る
他人を変えられるなどと思わない
自分に救える人間の数は持って生まれた2本の腕に収まる分だけ